僕たちは、良い人であろうと努力する。
故に、自らの行動に罪悪感を抱いたり、他者の行動を裁き、イライラを募らせたりする。
しかしどうだろう。良い人、素晴らしい人というのは、存在するのだろうか。
貴方にとって良い人と、僕にとっての良い人は違う。
とにかく人に優しい人をいい人だと言う人もいれば、素直な人をいい人と言う人もいる。
それら全ては、本当に事実だろうか。
そう言える証拠はあるのだろうか。
そして、いい人である必要ってなんなのだろうか。
優しい人である必要はあるのだろうか。怒らない人である必要はあるのだろうか。人に配慮できる人である必要はあるのだろうか。
反対に、暴力を振るう人は良い人ではないのだろうか。すぐに癇癪を起こす人は許されないのだろうか。人のせいにしてばかりの人は、悪い人なのだろうか。
大いなる視点では、良い人も、悪い人も、存在しない。
その全ては、あなたや僕の頭の中のイメージであって、それは事実ではない。
そう、世界は、すべての人がそこにありのまま存在していることを赦しているのだ。
良い人にならないと救われないわけでもない。
良い人にならないと自分を愛してはいけないなんてことはない。
良い他者しか、愛してはいけないわけではないのだ。
全ての自分を許し、全ての他者を、全ての世界の出来事を、あるがままにあらしめることを許可した時、、、
そこはすでに天国であったと知るでしょう。
自分を変えようとする必要もなければ、人を変えようとする必要もないのです。
全てあるがままでいいのです。
ただ、、この世界には、人や自分に優しくすると、世界に優しくされる。
人や自分を嫌うと、人に嫌われる。
人や自分を怒ると、世界にも厳しくされる。
そう言った「法則」が働いているのは事実ですから。
自らの平安のために、あまり人の悪口は言わないほうが楽しく過ごせるでしょうし
もし、怒ってしまったなら、その事実をまず許し、自らの中にある囚われを解放してあげることは、重要でしょう。
そう、いい人になるためではなく
自らの幸せのため
に、心を変容させましょう。
全てを赦していきましょう。
どんな自分も許した上で、必要のないものは手放していきましょう。
いい人になろうとしないでください。それはいつまでも、あなたを縛り付けるでしょう。
全てを赦した時、やばいひとになるのでは??
そう思うかもしれませんが、ご安心を。
私たちの本質は「愛」ですので、全てを赦し愛していくと、自然に愛がベースの人に帰って行きますので😃
いい人ではなく、愛の人へ。赦す人へ。受け入れる人へ。
帰っていきましょう。
今日も、ありがとうございます😊