こんにちは、イトノウタツヤです。
ちょっと、今、パソコンを修理に出してまして、今回の記事はスマホで執筆してます。
ですので、ちょっと勝手が分からず、行間とか、いつもの「余白ギャン開けスタイル」(そんなスタイル名だったの、、?笑)にできないのがムズムズしますが、、、
まあ、いいや。
完璧を目指しすぎてもね、しんどくなりまっから。
今回は「余白チョベットスタイル」でやっていきます。
じゃあ、いってみよーーー!
本当の私に、問題一つとあり得ない。
なぜなら、私は思考では無いからだ。
私は体では無いからだ。(ダジャレじゃないですすみません許して怒らないで)
もちろん、体が嫌がること、思考が嫌がることは、起こるだろう。
しかし、本当の私に意識を合わせている限り、それは問題になり得ない。
穏やかな気持ちの中で、その問題に取り組めるであろう。
思考に問題がない訳ではない。頭に問題がない訳ではない。思考から見た世界は、問題だらけであろう。
それは、目覚めようが、悟ろうが、何をしようが変わらない。
思考というのは、問題を作り出す機能だからだ。
思考は、この体が死なないように、生き延びるために、日々必死だ。
あれが足りない、あれが足りなくなるかもしれない、あれが欲しい、あれは逃げたい、あれは許せない、あれはもっとそばにきて欲しい
口を開けば、日々そんなことばかりだ。
しかし、思考とは、そういうものなのだ。
思考は。それでこそ思考なのだ。
だから友よ。幸せでいたいのならば、思考に従うでない。
あまり思考を重要視するでない。
僕たちの本質は、いつだってその背後で、輝いているだけだ。
特に問題などない。
泣いている思考の後ろでいつも笑っている。
微笑みを浮かべている。
もう一度言うが、思考はどんなに修練しても、問題を作り出す。
だから、思考から離れなさい。
私たちの本質は、思考とは別のところにいる。
それを忘れないでいなさい。
そちらに意識を合わせ続けるのです。
不安が現れても、おそれが現れても、怒りが現れても、責めないで。
ただその思考を許し、手放すのです。
そして、本質に意識を合わせるのです。
私たちの本質に、問題一つない。