人は無意識に生きていると、どうしても、「人に認められたい」「私のことを知ってほしい」「私のことをわかってほしい」そんなふうに思ってしまうものだ。
これは「承認欲求」と呼ばれるものだが、人間として生きている以上、沸き起こるときは沸き起こる欲求である。
それは、自分自身のありのままを認めていなかったり、自分が本当に望んでいる生き方や在り方ができていない(そうすることを認めていないとも言える)ときに、より強く現れたりするものだ。
自分からの承認が得られないがために、人からの承認を求めるのである。
承認欲求を手放す。なんて言葉があったりもするし、ある程度精神的な探求をしている方であれば、「承認欲求はあまり良くないもの」という認識を持っている方も多いだろう。
でも、承認欲求は、別に悪いものでもない。同時にいいものでもない。
だから、承認欲求の強い人物を否定する必要もないし、自らの承認欲求を否定する必要もない。それは人間として自然な生きるための機能なのだから。
何だけれども、人間関係においてや、精神的な軽やかさ、心の自由さ、そんな観点においては、少々厄介な存在だったりする。
野放しにしておけば、健全な人間関係を築くことが難しくなったり、本人も気づかぬ内に、承認欲求を満たすことが、人生の主軸になってしまったりさえすることがある。
そうなることのなにが問題かって、どうしても苦しみが伴うということ。
承認欲求は、生きている以上多少なりとも湧き出てくる欲求である。
だからこそ、どれだけ満たされたとしても、どこかのタイミングでふとまた現れたりする。
そして、それを満たすには、外的な要因を必要とする。人からの承認という形だ。
だから、いちいち人からの承認をもらうための多大な努力を要することになるし、皆さんの経験からも分かる話だと思うが、人からの承認を必要としている人って、なんとなくあんまり一緒にいて心地よくないでしょう。
そう、結局、承認欲求に突き動かされている限り、永遠に満たされることもなく、いい感じの人間関係も気付けないという、不幸ループに陥るのだ。
だからこそ、承認欲求に突き動かされている方がいたら、その欲求に従うのをやめてみることをおすすめする。
人に認めて欲しいというエネルギーを発している自分を見つけたらなば、それをまずは認識し、「ああ、人に認められたがっているな、私」と、気づいてみる。
そして、ただそれに従わないということをやってみる。
承認欲求は、幸せに楽に生きるためには、不要なものなのだ。
それをしっかり認識したうえで、承認欲求を否定セず、でも、採用せず、あるがまま放っておく。
同時に、ちゃんと自分の認めていない部分をちゃんと許し認めることとか、やってみたいけど何かと理由をつけてやっていないことをちゃんとやってあげるとか、そういったこともしてあげると良い。
承認欲求から自由になっていきましょ。
とっても楽ですよ^^