夢の現実、理想の現実と”永遠の幸せ”は関係がない

これはね、僕自身長らく引っかかっていたテーマだったのです。







僕たちは、なにか、小さい頃から「夢はなんですか?」「どんな人になりたいの?」って、問われて育ちますよね。





様々な家庭があれど、多くの場合、小学校、中学校、高校、大学、社会人へと、山を登っていくような、そんなイメージがありますよね。






そして、山を登る中で常に、「あなたは何をする人なの?」「あなたはどんな道に進むの?」「あなたはどの山の頂上を目指すの?」って、問われているような、そんなことが普通に起こっている環境で育った人がほとんどだと思います。







そう、そんなだから僕たちは、いつしか「理想や夢を叶えることで幸せになれるのだ」と、錯覚し始めてしまいます。








「憧れのあの人みたいに慣れたら、幸せになれるんだ」「お金をいっぱい稼いだら幸せになれるんだ」「結婚して家庭を持ったら幸せになれるんだ」







そんなふうに、ある意味”洗脳”されて育つものです。







ですから、人は夢を追い、なりたい自分を目指し、人に誇れる自分を目指します。そして、理想通りの環境を構築しようと、なんとか無理してでも走ります。







でも、残念ながら、人生というのは思い通りいにはいかないものです。







「やった!手に入った!」と想う夜もあれば、「なんで私はこんなに何も手に入れられないんだ!」と嘆く夜もあったり。







「私はやっと、あの人を超えることができた!」と歓喜する夜もあれば、「私はなんて、ダメな奴なんだ」と、自らに刃を突き刺す夜もあります。







でも、それをやっていて、満たされたでしょうか。







本当に幸せであれたのでしょうか。








きっと、これを見に来てくださっている方の多くは、「なんか違う」って、心の何処かで思っているんじゃないかな。








確かに、理想の現実を叶えたり、理想の自分になれたときは、興奮と多幸感に包まれるでしょう。








しかし、3日も経てば、その喜びの風も流れ去っていき、新たに吹き込むのは「この先どうしよう」「なんか退屈だな〜」といった、不満の風だったのではないでしょうか。









そして、その不満の風を受け、「じゃあ次はどこへ行こう」と










新たな理想への旅路を始めるのです。








これが現代の文明社会に暮らしている多くの人が無意識にやっていることです。








もちろんそれが悪いとは思いませんし、楽しいと感じる方は、存分にその繰り返しのループを、楽しんだら良いと思います。









ただ、その”得た失ったの永遠の繰り返し”にもう飽き飽きした僕みたいな方は、ぜひ、理想や夢を追いかけるのをやめてみましょう。








このままの自分、このままの世界、あるがままに訪れる未来を許容してみましょう。








”過ぎゆく幸せ”ではなく”永遠の幸せ”を望むならね。








”永遠の幸せ”を求めるのであれば、”過ぎゆく幸せ”へのこだわりは、捨てなければなりません。あまり深追いしないことです。







そして、現実をコントロールすることをやめましょう。何かを目指すのを止めることです。それが”悟り”や”目覚め”であったとしても。









そう、”永遠の幸せ”は、求めるのをやめた時に、自然と姿を表すものなのです。








求める”心”が、静かになったとき、そこに本来の私達の性質である”平安”、”軽やかさ”、”至福”なんかが自然と顔を出すのです。









雲が晴れたときには必ず顔を出す青空のように。








そしてまた、”至福”や、”平安”を求めることも、青空を覆い隠します。







もう一度、綴りますが、”永遠の幸せ”は、何も求めないときに、青空のように姿を表すのです。







どうぞ安心してください。わたしたちの本質は、”幸せ”ですから。何を持っていなくても、何を失っても、大丈夫なのです。







ですから、安心して、すべてを明け渡しましょう。







”夢”や”理想”、”世界へのこだわり”を、安心して手放してください。








大丈夫です。すべてを手放しにしてほうっておくとき、運命を明け渡すとき、そこには”幸せ”がありますから。














今日は、そんなお話でしたとさ。











最後まで読んでくれて、ありがとうございます🙏😌







では🎉




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