この世界には、様々な教えが溢れているし、様々な体験談が溢れている。
これは本当に本当に、素晴らしいことだ。
現代はさ「悟りの時代」と言われるように、以前ではあり得なかったほどに、誰でも”教え”に出会うことができる時代になり、まだまだ少数であれど、覚者の数もかなり増えているだろう。
同時に、様々な覚者が、様々な方向性で教えを説くようになった。そして、”覚者風”な人物も増えているだろう。
だからね、きっと、どんな教えが正しいんだろう?瞑想したほうが良いのかな?インナーチャイルドを癒したほうが良いのかな?体を徹底的に癒やしたほうが良いのかな?
「結局何すれば良いんだよ!!!」ってなる人も多いんじゃないかな。
そんなあなたに向けて、教えの取捨選択の仕方的なことを、書いてみようかしら。
では、いってみましょ〜
ではね、結論から先に言うね。
全部正解です!っていう感じ。笑
ちょちょちょ!それじゃなんの解決にもならんし!!!!
って思うよね笑
でもね、本当に、たどり着く場所というのはたったひとつなんだけれども、そこに至るまでの道というのは本当に本当に人それぞれでさ
世界の中でたった一つだけの山(悟り・目覚め)をみんなが目指しているとして、、、最初はさ、みんな住んでる場所もばらばらで、山にたどり着くための距離も、道の険しさも、人それぞれ。身体の状態だって人それぞれ。
まずは体を癒やさなければならない人もいるだろうし、最初から山の近くに生まれたから後は歩いていくだけでいいって人もいる。
そう、本当に多様性なんだよね。
だからこそ、覚者というのも、それぞれがそれそれの道をたどって、同じ場所にたどり着いている。
そんな覚者の教えというのは、基本、自らがたどってきて、良かった道を示しているもの。
だからこそ、一人の覚者の本を読んで、「お、これやってみよ」って思っても、うまくいかないっていう場ターンもある。
僕の例でいうと、「至るためには”瞑想”が必要で、瞑想の中で何かをふと悟るもの」みたいな教えに最初は出会いました。
で、瞑想をしてみるけど、どうも苦しいし、しまいには瞑想できない自分を責めたりとか、、、、
今思えば、僕にとっては、こうして自らの感じたことや、心の動きを、ノートに書き出してじっくり向き合う”哲学する”ような時間を過ごすことが、一番性にあっていたみたい。
でも、瞑想が合う人もいれば、禁欲の道が合う人もいれば、、、、ホント様々。
だから、教えを取捨選択するとき、何か一つの教えに固執しすぎずに、自分にとってしっくり来る方法を取って探求してみたら良い。
たとえ”悟るためには瞑想しなければいけません”と、書いてある教えに出会ったとしても、実際そんなこともないから、割と柔軟に構えていると良い。
そして、自分に意識を向けて、しっくり来るやり方で進んでいけば良い。
あなたの歩む道は、すべて正解だから。大丈夫。
じゃあ、最後に一つだけ、信じてはいけない教えの見分け方を。
それはね、「この教えに従いなさい」「私が正しいのです」と、なにかに縛り付けようとしてくるものであったり
「これを信じなさい」「何かを手に入れなさい」と、”自分自身”ではなく、外側の”何か”を信仰させてこようとするもの。
こういったものは、まず変なとこにしかいかないから、気を付けて。
じゃあ、今日はそんなかんじで、終わりにしていこうかと思います。
では、最後まで見てくださってありがとうございました🙏
今日も、あるがままに。✨
バイバイ!