僕らは行くべきときに、行くべき場所へ行く


未来の不安、将来のために、そうやって今を過ごすことは簡単だ。






僕らの思考はいつだって、現実をコントロールしたい。






もっと欲しい、あれは嫌だ、あれはいい。







こんな未来は嫌だ、こんな未来になったらどうしよう、こんな未来になってたらいいな、絶対こんな未来にするんだ!








そう思いを巡らせているとき、心は穏やかだろうか。凪いでいるだろうか。







その水面は、波立っていないだろうか。








そして、そのように水面を波立てることは、幸せであるためになんの意味があるのだろうか。








そして、未来への思いをあれこれ巡らせたとて、それは実際に叶うのだろうか。







きっと、全ては叶わないようにできている。







もしも仮に理想の未来をすべて叶えたとしよう。






その未来が絶対的に幸せであると、ほんとうの意味で言えるだろうか?






夢を叶えたとしても、叶えた後の道のりも同時に存在している。







その対象にこだわり、執着している時点で、夢は、叶えた途端に、それを失う恐れと苦しみへと姿を変える。






安心しなさい、私よ。







人は、理想の未来になんかいかなくたって、幸せでいることができるんだよ。







人は、行くべき時に、行くべき場所に行くものだ。







唯一決まっている、「死」という場所へ向かって。







ゆくべき場所にゆく。その世界の大いなる流れを、信頼してみたらどうかね。







人生を思い通りにすることをやめて、ただ、今に寛ぎ、世界の流れに乗っていく。







そのように生きるとき、私は世界を味方につけている。







世界が私に微笑みかける。








「幸せ」という笑みを。









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