今回は、イトノウタツヤくんの、「こんな人間関係って最高だよな〜」って言うテーマで綴ってみようかなと思うとりますわ。
単刀直入に結論をいうと、僕的に一番いいなって思うのは、「ただ共に在る」
それだけの関係だなって思います。
具体的にどんなかんじかな〜って言う条件みたいなものを、いくつか上げてはなしていこうかしら。
1. 互いに、自分のことを認め、愛している。
これはね〜、軽やかな心地の良い人間関係において、大前提条件だなって思いますね〜。
自分を認めていないと、人に認めてもらおうとしたり、わかってもらおうとしたり、しちゃいますからね〜。
そういう「人になにかを埋めてもらおうとする」みたいな人間関係って、正直もう窮屈だから僕は嫌ですね〜。
2.自分に対しても相手に対してもなにかを求めていない
これもね〜、とっても大事。1つ目のことに付随するけれども、相手といるときに「よく思われなきゃ」とか「嫌われないようにしなきゃ」みたいなことを自分に課していない状態。
あとは、相手に対して「こうあってほしい」「こんな人であって欲しい」「私に対してこんな態度を取ってほしい」「私のことを好いて欲しい」「特別だと思って欲しい」
とか、そんなふうに、相手との人間関係において、自分にも相手にも特になにも求めていないということ。それって、ものすごく心地が良いし、なんとも開放感があるかろやかな関係性なんですよね〜。
3.自分も、相手も、無条件で許している。否定、ジャッジがないこと
いや〜、これも大事。これまた上2つの項目とわりかし近いんだけど、自分のことも、相手のことも「こうあってほしい」「こう在るべき」「こう在るべきではない」「これはだめなこと」
そんなかんじのジャッジが少なければ少ないほど、柔らかくて、暖かくて、軽やかな人間関係になるんですよね〜。
余談ですが、ジャッジとかだめなことを手放してしまったら、人はやばいことをしでかすのでは?みたいに思う人もいるかも知れませんが、意外とそれは大丈夫なんですよ〜。
ジャッジがなく、自分のことをトータルで許しているときってのは、人は心が満たされていますから、そんな状態の人ってのは不思議なもので、愛を軸にした行動が起こってくるものです。
なのでジャッジを手放した人は、人を傷つけるようなことはしないし、案外だいじょうぶなものなんですよ〜。
と、こんな感じかな〜。
上の3つの項目が満たされた人間関係は、とっても軽やかで、暖かく、リラックスした素晴らしいものになります。
別に、互いのことを知ろうとする必要もなければ、知ってもらう必要性もありません。
そんな中でも相手に自然と興味が湧いたならば知ろうとすることも在るかもしれないし、ないかもしれない。
ともにあるだけで心地よく、お話をしても、しなくてもいい。
ただ沈黙の時間をともにするでも、十分に繋がりや心地よさを感じる。
ただ、共にあることを祝福し、時間を共有することを楽しむ。共に遊び、共に歌い、共に沈黙する。
それは、幼い子供同士の友情のようなものかもしれません。
互いの名前だってどうでもいい。
肩書なんてどうだっていい。
見た目だってどうだっていい。
ただ、共に在る。
関係性の名前なんていらない。
関係性の名前で、互いを縛り、相手を所有する必要性なんて微塵もない。
ただ、一緒にいたいならいる。離れたいと思ったなら一人になる。
そんな、自由と愛に溢れた軽やかな人間関係。
そこに本当の美しさがあり、世界の美しさも同時にかんじられると、僕は思います。
いや〜、いいですなぁ。