世界と、幸せは、あまり関係がないようだ。
世界がどんな状態でも、幸せは、ここにある。
それが信頼できないときもあるでしょう。
それもそれで良し。
今に腰を下ろす。錨を下ろす。
ゆったり、どっしりと構え、移ろいゆく世界を眺める。
ときに大嵐が来たり、大波が起こったりするでしょう。
ときにそれに巻き込まれたり、巻き込まれないでいられたり。
それもまた良し。
ときに、体が嫌うような事が起きたり、恐怖を感じる出来事が起きたりもするでしょう。
ときに緊張して逃げ出したり、ときに、ただ平然と恐怖を見つめ、問題に対処したり。
どれもまた良し。
ただあるがままの今を、苦しみでさえも、赦し、ただ今に寛ぐ。
どうやら、ただってきた過去と、今の幸せって、関係ないようだ。
ときに、傷つけてしまった人のことを思い出したり、ときに自分の過ちを捌いたり。
それもそれで良し。
ときに、過去の栄光にすがったり、武勇伝を人に語って聞かせたり。ときに、ちょっとそれが虚しくなっちゃったり。
それもそれで良し。
ときに、過去を思う無意味さに気づいたり、ときにすべての過去を受け入れてみたり。
それもそれで、よし。
どうやら、理想の未来と、未来の幸せって、関係ないようだ。
ときに、全く夢のない自分に、空虚さを抱いたり、ときに夢を抱き、追いかけてみたり。
それも、良き良き。
ときに、夢破れ、深い谷底で体育座りをしたり、ときに夢叶い、頂きからアリを見るように街や人を眺めたり。
それも、良き良き。
ときに、理想に空虚さを感じ、全て手放したり、ときに、ただ未来を神に委ねてみたり。
それも良き。
ただ生きていること。
ただこの世界を眺めていられること。
ただ感覚を通じてこの世界をリアルに体験できること。
それだけで十分でないかね。
他に、幸せであるためになにか必要だろうか。
むしろ、なにかが必要だと思いを巡らせる思考を採用するとき、幸せはここにあるだろうか。
どんな未来であろうと構わない。
どんな自分であろうと、なにをしていようと、構わない。
その深いリラックスと、安らぎから、世界を体験していこうではないか。
ね!
素敵でしょ!